昭和46年05月18日  月次祭



 私は金光様のご信心を頂いておりますと云う事は、本当に金光様のご信心を頂くと云う事なんだ。其処でそのためには、金光様のご信心が、教祖様のご信心が、ね、教祖様のご信心が、分らなければ頂きにも頂き様がありません。それをもう少し大きく言うと天地の親神様のお心を分からしてもろうて、その天地の親神様のお心に添い奉ろうとする事が、信心を頂くと云う事なのです。
 天地の親神様のいわゆるお心が分り、言うなら天地の心が分り自然の心が分り、天地自然の心を心として、私どもが日常生活をさし頂くと云う事がお道の信心であります。ですから、それを頂かずして、信心を頂いておるとは言えない訳なんです。おかげ頂きましたと言うてもです、ね、もうそれこそ合言葉の様にお道では、おかげを頂きましたと言うけれども、ね、そのおかげを頂くと云う事はそう云う事を分らして頂く。
 そう言う信心を頂いておると云う事、だからどんな場合でも、おかげを頂くと云う事が、言える訳なんです。おかげを頂くと云う事と。今日前講を若先生が務めておりました。人間にはそれぞれの特徴がある個性がある。信心とはそのそれぞれの個性を伸ばして行く事だ、温かい人は温かい人、ね、または冷たい人は冷たい人。昨日でしたかあのいま恵美子さんが此処何日か此処で修業さしてもらいよります。
 竹内市長の令嬢です。昨日此処でお届けさして頂きますのに、お夢の中にはっきり、あのお言葉で頂いた事がね、「梅一輪一輪の温かさ。」と頂いた。梅一輪一輪の温かさ、ね、もう何とも言えん、私はお取次ぎさせて頂きながら、有難いなぁちゅて言うた事です。ね、梅のいわば、花が一輪一輪、ね、咲くだけいわば、季節は温かい方へ向かって行くと言うのであります。
 私どもの信心がやはりこの一輪一輪のね、やはりおかげ所謂信心辛抱が、日一日と続けられて行く内に、何時の間にか何とはなしに有難うなって行くと言うのであります。ね、温かいね、お互いの信心が果たして、もう信心を頂く様になって一年になる、五年になる、十年になる果たして一輪一輪の梅の花が咲く程に、自分の心が所謂温かくと云う事は神様のお心に近付いて行っておるかと云う事なのであります。
 信心とは和賀心が神に向かうのを信心と言うのじゃ、和賀心が神、一輪一輪、咲く程に温かかになっていく、一日一日自分の心が、一歩一歩神様に近づいて行って居ると云う事。ね、その事が有り難い。、そう言うおかげを頂いておるから、今日もおかげを頂いて有難い、そう言う心の状態が育って行きよるから、今日もおかげを頂いて有難い。今日は思いがけない商売が繁盛しました、今日は思いがけないこんな良か事がありました、と云う事が、おかげですけれどもね。
 それは神様は、そう云う事ばっかりは、決して下さらんのですから。反対の事もあるのですから、ね、ですから私どもの心がそういう中にあっても、草々せんで済む、心配せんで済む、取り越し苦労をせんで済む、じっと自分の心を見極めさしてもらい、教えを頂いて、其処からの信心を頂こうとする姿勢、そう言うおかげをね、頂いて行くから、今日もおかげを頂いて有難いて云う訳。金光様のご信心を頂いておる、とこう言うけれども、ね、金光様の本当にご信心を頂かなければならん。
 金光大神が歩かれた御生活、態度というか、ね、御体験から生まれたみ教えというか、神様から直直にお頂きになった御教えというか、そう言う御教えを頂き頂き、自分の心にかって知らなかった天地自然のことわけも分らして貰い、ね、その道理に即応した生き方をさせて頂く、いや、させて頂こうぞと腹が決まる。それが本気で信心をさせて頂こうと思うた事になるのです。
 いわゆる神様のお心に添う生き方、教祖様のいわば生きられ方をです、自分自身の信心の上に頂き、しかもそれを求めて行く事を、追及して行く事を、御教えを拝聴する事であり、信心の修行をさせて頂くと云う事になるんです。お祭りの始まります前、ね、若先生が此処でお話しさせて頂いてる間、しきりに雨足が速くなった。ザーッと雨が降ってきた。御結界に座っとてからね、なんか胸がぞくぞくするごと感動するんですよ。何がこんなに感動するんだろうかと、訳が分らんけれど感動するのです。
 それは成程久し振りのお湿りではあり、ね、本当に、本当に今日は夏の雨のような清々しいお湿りでありましたが、それが何のためにこんなに有難いのであろうかと、こう言う訳の分らない有り難さが日のうちに何回かあります。何処から湧いて来るか解からない有り難さなんです。それが日々、私どもが梅一輪一輪の温かさを身に実感させて頂いて、それが身に浸み込んでいっておるからなのです、私はそう思うです。
 信心の喜びが段々深くなって行く募って来る、ね、その喜びに勿論おかげが頂けないはずはありません。そのおかげにそれこそ、神様のもう天地自然の働きがです、氏子を幸せにせずにはおかんという働きからです、始まっているのです。私どもが此の世に生を受けた時から、ね、どうかなして信心しておかげを受けてくれよと言う願いが掛けられてあるのです。ですから、私どもが、その完璧と云う事は出来ません。
 今日も振り返ってみると、あれもお粗末であった、これも御無礼であった事なのですけれども、根本の処にです、いわゆる金光様のご信心を頂くと云う事。天地自然の心をそのまま、私の心に頂いて行こうとする姿勢というか精進というその腹が決まっておる所から、完璧でなくても、その心におかげを下さる。ね、こげんなってしまわなければおかげ頂かれん、て言ったら大変なんですよね、私ども一生頂かれん、ね、そう言う気になると云う事なんです。
 本気で金光様のご信心を頂くと云う事にならなければいけません。そんなら金光様とはどう言う信心をなさったお方か、どういう生活をなさったお方か、どう云う事を言うておられるかと云う事が問題になって来る訳です。だから、此の方の道は話を聞いて助かる道なのです。話を聞かなければ、神様の心も分らない、金光大神の生きられ方も分らない、ね、此処にこの様な真の道があるとしても、その真の道に入る、いわば、その道すがらにおいて、とでも申しましょうかね。
 丁度どこどこ行く時には矢印が、こうやって、紛らわしい所にはこうやって矢印が付いてますね、道に、道案内です。ね、その道案内を間違えない様にです、道案内を受けて、私どもが一歩一歩、温かい所謂梅一輪一輪の有り難さ、温かさと言う物を求めておかげを頂いて行く。そこからです、梅が咲きほころぶ様になる。これはもう願わんでも頼まんでも、鶯が来て止まるおかげが受けられると云う事なんです。
 願わんでもそれが実りになると云う事です。願わんでもそれがお徳になると言う意味なのです。梅干しといや、もう何時まで置いても、悪くならない、と云う程しのです、ね、あの世にも持って行け、この世にも残しておけると云う程しの、それがおかげになって来る。だからね、これがやはり積み重ねられなければならない。私は今日の御結界で雨音を聞かせて頂きながら、何でこの様に感動するのだろうかと、思わせて頂いたら、五十年昔のことをふと思い出させて頂いた。
 私の母は、浮羽郡の麦生から、来ております。もう家代々非常にそのま、篤信と言うですかね、もの仏教真宗一向宗なんです真宗仏教なんです。ここの総代を代々努めさせて頂いて、先祖にはお坊さんになった方も何人もあると。もう本当になんて言うですかね、この精進と云う事の、例えばお魚をとると云う様な事はもちろんしませんでしたが、大根の虫でもね、殺すと云う事はしませんでしたですね。
 いわゆるその殺生をしないと言う訳です。丁度私が母に連れられて麦生にその歩きに行っておった。まそれは私の想像なんですけれども、何かその時にそのお寺さんにですね、どっか、京都辺りから偉いお坊さんがお説教に、御話しに見えておる。だから、お昼もやはり、総代ですからそこに行って、夕方帰って来てからいわゆる婆やら母やらをさ、今夜もまた、いうなら今でいうなら、座談会でしょうね。
 お坊さんを囲んで座談会でもまた、今晩、お話を頂けるからお話に頂こうと言うのでしたけれども、ちょうど今日のようなお湿りでした。私はまずおんぶして行っておった事を思い出します。かすかに、それからお寺さんの近くに、段々あれは、なんでしたかね、信司さんあれはじょうじょうじでしたか、田主丸のこっちの方の端の方にあるお寺さん、じょうじょう寺じゃったですな。じょうじょう寺さんです。
 それがそのまあ、爺達が母達が有り難い話をして行きよるとですね、その雨が降って、ま、蓑傘付けて尻ひっからげてその歩いて行きながら、話をしておるのがね何ともいえんその、有難さなんですね。背中に負われておってから、とにかくそのやはり有難いんです、ね。云う様な、はっきりは言え無いんですけれども、そういう雰囲気の中にです、私はおんぶされながら、寺の近くまで参りましたら。
 丁度藪がこうありましてね、小さい道のその藪を通って行かなきゃならん、そこにまあそんときの私の幼い記憶から言うと、まあ此の位の高さのショロの木がずうっと植えてあってね、それが雨があり風があってね、その雨がザーッと降って来るその雨がショロの葉にかかって風でカタカタカタカタとその言うておる音がですね、もう今でも私の耳に残っておるです。ね、その時の事を私は今日思わして頂いて感動さして頂いた。
 雨、雨足激しくなって行く雨の音を聞きながら有難い。だから私はこれは幼い時分のこりゃ、錯覚なんかそんなこつじゃなかろうか、一辺じょうじょう寺行って、あのショロの木を見たい、一辺いまでもあるじゃろうかと思うてですね、何時も思っておったんですけれども二、三年前用があってあって、久富さんと一緒に田主丸に参りました時に、行ってみろうと言うてから、ちょっと周りになりますけど、行ってみましたらもう昔の面影は全然なく、藪なんかは無、綺麗な道になってしまっとりました。
 はぁこりゃ私のありゃ、まそのま子供心の一つの、錯覚の様なものであったであろうかと思うて、お寺さんに参りましたら、立派な納骨堂がでけております前にです、それこそもうこんなに高いシュロノ木がずらぁっと、まだ移植したばっかりと云う様な感じで植えてあるんですよ。ははあこのねこのシュロノ木が、あの時のシュロの木だと私は思いましたですね。いや繁男さんあったですばいこれじゃった。
 私はこのシュロノ葉の音を、雨風の中にカタカタカタカタ聞いた時に、兎に角母の背中で、もう感動した事をおぼえておるち私は今日此処で子供たちがあしてその、まとごえたりお祭中に話をしたりしててもね、あのお参りをま、連れのうてしておりますが、例えば今日あたりの様な、それこそ此処のお月次祭に雨が降った事はないと言われる様な中に、楽にお参りして来とったら、そう感じないかもしれません。
 今日はほんにしるしいお天気じゃった、雨がばさらか降って、何か何がなしにです、子供のいわゆる幼い心にそう云う様なものが、感じられたとするならば、これはもう大変な事だと思わせて頂いた。ね、信心の持つ一つの情操、そう言う情操がです、言わず語らずの中に、子供たちに伝わって行く、そして段々分って来るに従って、信心とは和賀心が梅一輪一輪咲くほどに温こうなって行くと言う様な事がです。
 信心とは有り難うならして頂くけいこだと言う様な事がです、信心とは金光様のご信心を頂くとこなんだ、天地の親神様のお心が分って、そのお心に添い奉る事なんだ、ね、と云う様な事も段々分って行って、何時の間にか教えずね、語らずにそう言う信心を子供たちが身に付けて行ってくれるであろうと言うふうに思うて愈々、ま有難うなった訳であります。ね、もう信心はね理屈じゃないです。ね。
 自分がその気にならせて頂いて、おかげを頂いて行く所から、そう言うおかげが受けられる。私どもが生まれた時から、いや本当言うたら、此処に宿らせて頂いた時から、神様のおかげでお腹に宿らせてもらい、ね、しかも神様のおかげでこの世に出らせて頂いて、ね、神様のおかげで、此処まで成長のおかげを受けたと云う事。それが神様がおかげを受けさせなければおかんという働きをです。
 信心させて頂く様になって初めて、それも神様のお心に添い奉ろうとする、願い、そう言う姿勢をとらせて頂くところから、神様のそう言う微妙なね、ね、言うなら神のせつりとでも申しましょうか、ね、天地のせつりと言うても良かろう、その摂理の中に、私共がどうでも、幸せに成らなければ成らない程しの、働きの中にあるのですけれども、私どもが我情を言い我欲を言うて、そういうおかげから外れて行くと云う事がです、神様のお悲しみであると云う事。
 信心させて頂いて其処ん所が分らして頂く所から、成る程この神様はおかげだけしか下さろうとしない、人間の幸せだけしか願っておって下さらないんだ、と云う事が分って来る。信心させて頂く様になると分って来る。いわゆる信心をさせて頂くじゃない、信心を頂く様になると分って来るんです。たとえば一例を申しますとね、昨日は私どもの父の八十八回の誕生を迎えさせて頂きました。
 本当にね、五月の十七日ですね。いわゆる大坪徳蔵この世に生を受けてより、今日まで八十八年間、本当に神様の御守護の中におかげを頂いて信心が分り、信心を知り、そしてその信心が私どもに伝わり、そして此の様なおかげを頂く様になった。いわゆるそ言う姿勢がでけた。例えて今日申します様に、信心を頂こうと言う信心がでけた。金光様の信心を頂こうと言う姿勢がでけた。
 というて頂いておる訳ではないそれこそまあ、お粗末御無礼だらけのものですけれども、神様はおかげを下さるどうでしょうかね、あれが十六日に生まれておったら日田支部のご大祭だった。十八日に生まれておったらとても今日の月次祭で、いわばああいう大きなお祭りやら後の御直会の席やらとても出来なかったんです。是は昨日だけその様なおかげを頂いたのではなくて此処にいわば生、ここの中に宿らしてもろうた。
 此の世に生を受けた時から、既にそれはもうちゃんと神定めに定められてあるのです。決してそれこそ付いて来なされこの提灯に、決して苦労はさせやせぬと言うのが神様なんです。所が自分の都合のよか時だけ、提灯借り来るごとしてから自分の都合のよか時には、我がよかごつの生き方ですから、所謂おかげがちぐはぐになって来る訳なんです。もう人間は決して此の世でね。
 食べる事着る事全て人間の幸せに繋がる一切のものがです、天地の親神様の恵んだ上にも恵んで下さろうとする働きの中に、私共はあるのです。だからそこが分る時にそう言うおかげが、受けられるんです。こりゃまあ、何時もの事ですから、皆さんが耳にたこでしょうけれども、ね、今朝から、久富さんが、お初穂の整理を毎日なさいます。所が今日五十二万余りの、集金に来ると云う所があった。
 私は通帳も見らんし、もこちらあるもんのごと思うて、今日取り来るたいしたらあぁた、あぁた全部調べてみた所が十二万ばっかり足らん。高橋さんが立ち会うちゃったから、もう今日一日あぁた待って貰いなさりゃよかつに、明日お月次祭にいっちょおかげ頂いてから、十二万ばっかりおかげ頂くごたふうに、して明日払いなさいちゅう。で今日あなたもう、皆さん十二万などうでもこうでん、お供えしてもらわんや困るちゅうごたあるはめになとった訳。
 言うならば、それは丁度八時頃までがそうでしたよ。所が今日は集金に来るのが午後からになりましてね。私が丁度此処に奉仕をしておる時、丁度経理の久保山さんも一緒に、その事で此処に来ておりました。ほいで幾らいくら足りませんよちいう。そうばってんから、はんならとにかくお初穂をなら、私は自分でお初穂を整理した事がない。それからお初穂を整理させて頂いた。したら丁度あ一時の御祈念の時でした。
 一時の御祈念の半ばに、私此処に付いた。そしたら佐賀から一家中で参って来とった。もうこちらでお届けが済んでおった。から私は此処でお初穂を出してから、こううやってしよる所へその、末永先生がやって来てる訳です。もう私はもう本当に毎日毎日の事ですけれども恐れ入ってしましますよ。私はあちらから来る時に、母が、これはあの、昨日私の親戚から来ておりましたから、あのその親戚の中の一人がですね。
 豊美さんが結婚式の時に、お祝いもしとらじゃったけんで、と言うて、そののし袋に持って来よる、一応必ずお届しますから私がそれを此処に持って来た。それはやっぱ豊美の所へ送らなければならんのですから、けども今日はこれもいっちょ借らにゃいくめ、ち思うちからそれも開けて全部調べた。所がね丁度それを出さんで済むだけおかげ頂いとった。だから向こうの方から、またそれだけ金が返って来ました。
 もう本当にそれはね、ね、それで私はお金を調べながら、此処へ佐賀から参って来て、もうそれこそ大変なおかげを頂いて、今日はお礼に出て来てるんですよ。その人が、今日は色々交通事情の悪い中をね、お参りをして来ておる訳ですけれども、今度また新たなお店を開く、だからお店の名前を頂きたいと言うてお参りして来ておった。それこそ思い掛けない人たちが思い掛けないおかげを頂いて。
 思い掛けないお供えをさせて頂いておるのを、私が目の前でそれを開かせて頂きながら、あら、あんた達はこんなに沢山お供えしてから、けれども、いま私がほら、此処へ金取り来とるとに、十二万ばかり足らんとに、丁度こりが合うばい、ちょっと見てんなさい、ちゅうて私は申しました。したらもう此処に佐賀から参って来とる連中もですね、お話には聞い取りましたばってん。
 こげん間違い無い神様ちゃ、初めて知りましたちゅうて。いくら子御kに合楽にお参りがあるちゅたっちゃ、もう朝のいわば八時にはもうそれから先はバラバラですからね。お参りがそれんちょっと五万てん十万てんちゅう事は何時もはない。けども今日そのお参りが、だから私がその豊美からの所に来とるとまで一緒に、渡してとにかく数えてみてんのどがしこあるじゃろうか、したら先生丁度よ御座います、豊美さんのつをお返しすれば、しても丁度ありますちゅちから、お返ししますちゅちから返された。
 そこに私の人間心が少しありましたわけですけれどもね。その様に言わば間違いがないと言う、お互いどうでしょうお金がいる時に、ね、いるものがいる様に必要に応じて、そうして頂けれる様なおかげを頂ける、私は道が金光様の道だと思うです。それを例えば父の例を持って、私共がもうギャッと此の世に生まれて来た時よりかもっと前に、お腹の中から、神様の御演出の中に、神様のお働きの中に、ね。
 宿らして貰い此の世に出らせて頂き、そしていわば氏子信心しておかげを受けてくれよと言う願いが掛けられておると云う事が分るでしょうが。ね、五月十七日に父が、ね、生まれておったと云う事が、ね、八十八年後の今日初めてその辺の所が分る。こげんも間違いがないと云う事。だから八十八年間の中にも、そう言うおかげを受けて来てる。けどもそこにが互い違いになったりしておる所にです私どもの信心が、信心なしておろうばってん信心を 頂いてはいなかった、と云う事になるのです。
 金光様のご信心を頂いておったといいながら、金光様のご信心は頂いていない。天地の親神様の心知りたしという信心じゃなかった。ね、知っておってもそれを行じてはいなかったと言う事に成る訳なんです。が其処に至って信心の姿勢が其処にはっきり決まった所からです、ね、その様に一分一厘間違いのない働きが頂かれる訳であります。今日ある方がもう大変な一身上のまいうなら進退伺の様なお願いをなさいました。
 話を聞きよったら、ほんにそれあなたが言う通りにしたら良かろうち私は思いました。ね、してまた言いもした事でした。けれどもその進退伺ですから、なら、御神意を伺おうと言うて、神様にお願いさして頂きましたらあのよしとあしを頂いた。あの草むらに生えているでしょうあの川辺に、川岸によしと云うのあしと云うのが、是は似とるけどちょっと違うそれこそよしとあしと云う程に違う。ね。
 そして御理解にですね、小さい意味でならばよし、大きい意味でならあしと頂きました。誰でも大きなおかげ頂きたいでしょう。それこそ神様が願うて御座るその氏子に、その神様が願うてござるおかげが成就すると言う事はもう大変なことなんですよ。私が愈々難儀魂魄の時にです、一生懸命お願いをさして頂いた。けれども右と願っても左、左と願っても右と云う時に、初めて分らして頂いた事は私の様な者にでも、神様の願いが掛けられておる事が分った時にです、親先生どうぞもう私が商売繁盛の事だけは、もう願うて下さいますなと私が言うた。
 親先生があんたそげなこつばかり言うちから、私はこげんお願いしよる所に、ちゅうちから腹かきなさいましたけどね。いいえ先生もう此処までお願いして頂いてですね、おかげに成らんので御座いますから、どうぞおかげになるならば、神様の願いが私の上に成就します様に願うて下さい。いうならば神の願いが地上になると云う事なんだ、神の願いが地上になる、神の願いが氏子の上に成就すると云う様な、おかげを願うて下さい、と云う事からこれがまあ愈々大変な修行がそこから始りましたけれどもです。
 それが考えてみると、神の願いが成就して行く事の、いわば姿であったと云う事。そして、私はもう椛目で人がどんどん助かごとなってからでちゃ、まだ商売さ神様さして下さるなぁと思うとった実際にもうあんたが、金光様の先生になろごとあるけん、そげな事人が言われましてけどね。もう金光様の先生ちふてん嫌いでしたもん、金光様の信心なしよるばってん。そりゃ親先生あたりの御修行を見とりますからね。
 とてもそのそん頃は絶対いやと、ち私は思いよった。そしたらね結局そのさっきの若先生の話じゃないけれども、私に一番自分に欠点と思うとった所を、神様が一番の特徴として、取り上げて下さり引き立てて下さった訳なんです。私の一番の欠点なねもう嫌ち言いきらんちゅう性分でしたよ。もう商売人でん嫌ちいいきらんなら大体成功せんとです。私は商売なもうとにかく人並み以上だったです。好きでもあるし上手だったんですよ。所が金はいっちょん残らん、それがもう嫌ち言いきらんもんじゃけんな。
 友達と一緒に飲みにでん行くと、ああたもそんも当てしてから来るやつもおる、すとこっちは金は持たんばってん、もうおばさん私がつに付けてくれんの、て言うたるふうで帰って来よったです。まあ後から帰って来てからあげなこつ言うたが、こりゃまた俺が払わにゃんがと思うちからですね。もうそん時になったら、そのそう云うふうに弱い気がね、はあこりゃこげなこっちゃ俺はもう、一生うだつは上がらん成功は出来んぞと思うておったが、これが私と神様の間になった時に。
 この竹内先生の話、もう人を相手ではありません、ね、神様が相手だと云う事になったときです、神様がどう云う無理難題と思う様な事を私に仰っても、泣く泣くでもやっぱはいと言うて来た事なんです。私の性分が、そげんじゃけん。そげなこつ言いなさったちゃ、出来ませんよちゅて言うたっちゃ良いあるごとをです、私ははいと言うて来たおかげで、今日の合楽があります。
 だからいわば私の持っておる一番の欠点と思うておったその個性がね、いわば素晴らしい事に段々御育てを頂いておる事になる。是からもとにかくどれ程しかまたおかげを頂いて行くか分らんためには、私自身がです、ね、それこそ梅一輪一輪のね、温かさと云う物がね、これに育っていかなければならんわけなんです。それには、金光様のご信心を頂くと云う事は、金光様のいわばご信心振りというか、御生活態度と云う物が、私どもの上に、見習わず、神習わせて頂かにやならん。
 そして教祖様が教えられた事を、私が行の上に表して行かなければならん。段々分れば分る程天地の心が分る、自然の働きも実相と云う物が分る。その私どもが天地の働きのその実相の中に私どもの小さい信心が突入する。そこに一緒になるね、神と氏子とが一つになる。そう云う境地を目指させて頂いての信心。そこからです成る程神様がねおかげを下さろうとする働きだけしかないんだな、最近私が思う事それはね。
 金光様とお唱えをすると云う事は、もう、神恩報謝の表現、これは私はもう本当にそれを思いよります、最近。金光様、と日にそれこそ何十回お唱えするか分りませんけれども、その金光様がです、寝てもさめても、あれを見てもこれを聞いても、おかげな事であると実感させて頂く。今日あるところの子供さんがね、もう久しゅう参っては来ませんが、電話が掛ってきた。
 子供が自動車にはねられて、頭の骨を折ってま、入院したからお願いしますと云う事。ですから私はその事をね、神様、あのお願いさせて頂いても、それこそお願いしようがない。引っかかりがない。そしたら今朝から、あの泉水で緋鯉が一匹死んでおる。そん時の事を頂いた。ははあ神様があの、御まつり替えを下さったかなとこう思うた。そして昔熱心に信心をしておった時代の事を思うて、お取次ぎさして頂いたら、なにかすうとこう神様の心の中に入って行く様な、おかげを頂かせて頂いたんですけれどね。
 まその後電話掛って参りませんから、どんな事か分りませんけれども、おかげ頂くだろうとこう思うとりますがね。ですからそう云う意味においてのおかげではなくて、今日私が申します、ね、天地自然の心が分り、自然の心に私どもの心が、それにおうて行こうとする姿勢、ね、金光様の信心を頂くと言う、本気で頂くと言う姿勢、ね、それを私どもが作らして頂く時です、それが一心発起出来る時です。
 もうおかげはそこから始められるわけです。ですからどう云う事の場合であっても、これも最近思うこと、それは私と皆さんとの間柄と言う物がです、どう言う問題を持って、はあ、神様の御都合ですねと、私が言え、皆さんもそうで御座いましょうと言えれる信心。そんならまちっとばっかりどげな御都合でしょうか、そりゃ神様がよりおかげを下さろうとする、より力を下さろうとする。
 より光を下さろうとする働き以外にはないねと、言えれる様な所まで、私の信心皆さんの信心が育って行ったら素晴らしい事だろうと云う様に思うとります。困った事が起こって来たらそれをこう、根掘り葉掘り、どう言う訳じゃろうかちゅちから、それば分からなきゃ、傷心もうそれば分らんごとあるなら、信心やめますばい、ちゅう様な態度とる様な人もありますから、神様の御都合ですよ。
 ちゅたっちゃ、もう何でんかんでん、ご都合で片付けちから、ちちから腹んたつ、けれど本当に神様のそう言う御都合ですから、神様の御都合ですねと言えれる、信心、または皆さんのところまでね、信心の成長が願われる訳であります。今日私が申しました、もうとにかく何処から、湧いて来るか解からない喜び、お湿りの音を聞いても、何処から湧いて来るか分らん感動、ね。そう言う私は一時が、一日の内に何回も何回もある様な、おかげを頂くから。
 例えば良し修行があっても、その修行がたとえば楽しいものになって来る様になる訳です。今日は私が此処に奉仕しておる時に限っては、もう、それこそ次から次とお参りがありますから、ね、皆さんに申しました。もう昨日は自動車がストしとるけんで、お客さんが少ないち、そげな事は絶対なかばいち。私げんお届け帳をみてんなさい。どがしこどがしこストじゃったちゃああたもう日頃参ってこん人達が自動車をかって、参って来るじゃんのと。なら今晩のお月次祭だって。
 そりゃバスを利用して来る方達は、お参り出来ないかもしれんけれども、今度は思いがけない人たちがお参りをしとるけん、やっぱこれだけいっぱいの人がお参りして来るでしょうが、だから今日はね、西鉄がストしとるけん、商売が少なかとか、今日は雨が降るけんとか、今日は今は、農繁期じゃけん商いが少ないとかと言う考え方が絶対間違いな考え方ですから、これをね。是正していかにゃいかん。
 直していかにゃきゃいけない。そして神様のおかげさえ頂けば、力さえ頂けば力を頂けば、何時も頂けれるんだと云う事。それを今日はならその五十万のおかげをお繰り合わせ頂いたと云う事もです、それだけの力がまあ頂いておるから、間髪をいれずお金を取りに来とる、その場で開けてぴっちっとした事、ね、千円余ると云う様にかっとらっとした事なんですよ。いわばそう言うおかげを頂く為にも、いよいよ金光様のご信心を、頂かなければいけません。
   どうぞ。